あのころ、私たちは二人でひとつの灰色だった。 ―― 灰色 ―― 「灰色、修行の時間じゃぞ」 きぃ、とドアが開いて光が差し込んできた。 眩い白の中に影が立っている。年老いた、曲がりかけた背を杖で支えた老婆。その後ろには、いつも付き従う槍の姿が見える。 「さあ、」 老婆は平坦な、感情の少ない声で呼んだ。傍らで、灰色が起きあがる気配がした。 「はい、みこさま」 小さな白い足が、まず朝の光の中に踏み出した。続いて簡素な麻の貫衣。やわらかい灰色の髪。そして、その下の灰青の瞳。 老婆の前でひたと止まると、ぺこりと朝の礼をした。 頷きもせずに灰色の礼を受けた老婆は、今度はこちらに目を向けた。 「…灰色。」 呼ばれてしまった。声に非難の色が見える。 仕方ない。暖かい暗がりから這い出て、わたしも灰色のもとに走り寄った。 *** 年老いた白の巫女は、いつもと同じ光景に、いつもと同じように溜息をついた。 白い肌に灰色の髪、灰色の瞳の幼子が二人。 それもまったく同じ外見の。 ――巫女の後継たる「灰色のこども」は一人のはずであった。 いつの世も、いつの時も。 それなのにあの月が凄く吹き荒んだ嵐の夜、灰色が生まれると予見された家には二人の子どもが生まれたのだ。 灰色は唯一にして無二の、白の巫女の後継者。 前例のない事態に、灰色の誕生を心待ちにしていた村の者は混乱した。 巫女自身ですら、このことをどう解釈してよいのかわからなかった。今ですらわかってはいない。 いつもは情報をもたらしてくれる風も、二人の灰色については口を閉ざしてしまう。 しかし、現に目の前には二人の灰色がいる。 後継者の教育を担う巫女としては、苦い溜息をつかずにはいられなかった。 *** わたしは、いつも灰色と一緒だった。食べるときも、寝るときも、修行のときも。 わたしたちはいつも一緒だったし、ほかの人たちも、わたしたちをひとまとめの存在として扱った。 だから、わたしたちは同じものなんだと、そう思っていた。 けれど、変化は徐々に現われた。 白の巫女の腰が曲がっていくにつれて、彼女の髪は少しずつ色が抜けていき、わたしの髪は暗さを増していった。 薄れていく灰色の底から澄んだ碧の瞳が現れた彼女と、硬く黒くなっていくわたしの瞳。 どんなに修行をしても、わたしには風の声が聞こえなかったけれど、彼女は歌のようなものが聞こえると言った。 そうして、やわらかい髪が透き通った銀色になるころ、彼女は本物の「灰色」になった。 風問いの森で、風の声を聞いたのだ。 *** 「灰色」でなくなった私は、することがなくなった。 もう修行に呼ばれることもない。 灰色と呼ばれることもない。 特に目的もなく、灰色が修行に出ているあいだ村をふらつくようになった。 村の人々は「灰色」でなくなった私を、見て見ぬように扱った。 それでも、灰色と住んでいた家を追い出されることはなかった。食事はすこし少なくなったけど。 灰色は修行から帰ってくると、私を見て、いつものように少し微笑って、その日あったことを話してくれた。 名前のない、ほそぼそとした日々だったけれど、悪くはなかった。 けれど、私はいつか自分がこの場所からいなくなるのだと、漠然とそう知っていた。 だから、あの日も驚きはしなかったのだ。 *** 「…来たか」 年老いた巫女は、薄暗い部屋の一番奥に座していた。 いつものように、高い槍を持った守人が影のように付き従っている。 村外れの小屋に呼び出された私は、口を開きもせずに頷いた。左手の窓から長く射し込む西日が眩しい。 壁沿いには村の主だった者達が並び、無関心なような、関わりを避けるような表情で、赤光(しゃっこう)に切り取られた床を見つめている。 老婆は、ぐるりと周囲を見渡した後、私の三歩先の、誰もいない床を見て口を開いた。 「今日、灰色は白の巫女を継承する」 ―それは知っている。私はまたひとつ頷いた。 「継承の儀は既に終わらせた。灰色は、最後の試練を受けている」 老婆は、ひどく大儀なことを口にするように、大きく息をついだ。 「夜明けまでには新しい名を見出し、白の巫女となるだろう。巫女としての私の役目は終わる。 ――じゃが、その前にひとつだけ、片付けておかねばならぬことがあるのじゃよ」 巫女は、ここでようやく、いよいよ捻じ曲がった腰の下から私を見上げた。 「双子は忌むべきものじゃ。どちらかは、去らねばならぬ」 よいな? と、老婆は聞いた。私には頷くことしかできない。 守人の黒い影が動いた。光る槍を手に近づいてくる。 岩のように表情のない顔と、暗い瞳。 そういえば、はじめてまともにこの人の顔を見たような気がする。 手を振り上げると、透き通った穂先が赤光を反射して、私はゆっくりと目を閉じて―― 「やめなさい!!」 だんっ、という激しい音と共に、風が飛び込んできた。 聞きなれた澄んだ声。 最後の残照に照らされて、光る風が戸口に立っている。 白銀に輝く髪は風に舞って踊り、薄紗の装束はとりどりの風を纏ってはためく。 碧玉の瞳が、静かな怒りに煌いている。 「おやめなさい」 そうして、灰色は――いや、白い少女は静かに口を開いた。 居合わせた人々は、彫像のように固まっていた。槍を振り上げた守人も、白の巫女でさえも。 「…先程、風が知らせてくれました。その者を殺すことは許しません」 深い湖の色のような瞳は、守人を通りすぎて、まっすぐに老婆を見ている。 「……そ、そなたは…白の巫女に、命令するのか…?」 喘ぎ喘ぎ、老婆が口を開く。 かつて白く輝いていた髪は、くすんで色を失っている。深い皺の奥に埋もれた目には、恐怖の色が滲んでいた。 少女は、痛ましげに年老いた巫女を見やった。 「蒼き風が私に名を告げてくれました」 「私の名は、白き娘アルジュノ。新しい、白の巫女です」 「そして、彼女は黒の守人、カルノ。――風は、そう伝えました」 その言葉を聞いたとき、私にはするべきことがわかった。 朱色が失われていく部屋の中で、固唾を呑んで見守っていた者たちにどよめきが走る。 だけど、私の耳には届かない。 目を上げて、首を伸ばす。 空気がぴったりと自分を押し包んでいるのを感じる。 見えるのは、目の前の光る槍だけ。 「黒のカルノ! 白き巫女の呼びかけにより、風の守人の継承を要求する!!」 高く呼ばう声を残して、硬い床を蹴る。 守人が慌てて槍を構えなおすのが、視界の隅に。 高く跳んで、くるりと一旋。振り上げた槍に蹴りを叩き込んで。 着地の音とともに突き進んで、よろめいた巨体から槍を掴み取る。 が、踏みとどまって槍を離そうとしない守人。 年老いたとはいえ、巨躯。力任せでもぎとることは至難―― そのとき、槍の握り手から澄んだ力が湧いてくる気がした。 勢いにまかせて跳ね上げると、たわんだ弓から矢が放たれるように、風、が どおん、という音に我に返ると、守人は、部屋の壁に激突していた。 そうして私の手には、槍。 顔を上げると、アルジュノが微笑んでいた。 *** そうして、白の巫女と黒の守人の物語が始まった。 だけど、私たちが風に導かれて旅に出るのは、まだもうすこし先のお話。 今でも目を閉じると思い出す。 私の人生が始まったあの日、色とりどりの風を纏って飛び込んできた少女の姿を―― 2004/09/18 up date 1000HITを踏んでくださった崎神葵様からのリクエスト、テーマは「風」でした。 風…微妙にメインではなくなってしまっている気がしますが(汗)こんなんでよかったらもらってやってくださいませv ちなみに、リクエスト小説のお持ち帰りはリクエストされた方のみになります。 それ以外の方のお持ち帰りは御遠慮ください。 |
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